Luna's Monologues

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短所は長所






わたしは会社の連中からは離すことが上手だといってもらえています。

メンへラーなもんでね。

いろいろジコケイハツ(自己啓発)ものを読んでいますからね。

だもんで、嫌がられている上司とか、

気難しい同僚とか、

けっこう誰とでも和気あいあいって感じで接している、表面上は、ね。

もち、内心では思い切り顔をゆがめているってタイプもいますよ。

でもそういうことは一切表面に出さない。

もうあと数ヶ月で…「大台」だもん。

そろそろ人間、丸くなってますよ。

でもね、やっぱり大切なのは、まず聞き手になること。

どんな人のどんな話でも、興味を持って聞くこと。

これにつきますよね、人間関係は。

それと、あいさつやあいずちのあとに、ひとことしあわせ言葉でしあわせ内容のコメントを入れること。

これで相手の心の垣根をどんどん低くしていけるんだよ。

八方美人になるんじゃなく、

ただ、オープンに。

偉ぶる、ツンとおすまし、知ったか…ということは、わたしは絶対しません。

これだけで人望ってやつがあるって、勝手に思ってもらえるんですよ。

人間関係はスキルよ、スキル。

スキルだから誰にでも身につけられる。




アダルトチルドレンだから、競争を降りるっていうことがたやすくできる。

選ぶろうなんてのはガラじゃないって、身にしみて知っているし。

自分で弱点だって思ってきたことも、場面によっては長所になったりする。




人間って、一概にはレッテルを貼ったりできないもんだよね。

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by psychic-luna | 2010-01-27 02:59

余計なお世話






人間って、ほかの人を変えさせようとしたり、

ほかの人に自分の影響を与えようとしたりするのに



自分と自分の生き方を改善しようとはしない





神を信仰するという人々よ、

あなたがまず、神の目から見てどういう人となりに見られているだろうか、ということを気にかけなさい。

わたしがどうあろうとそれはわたし自身の問題なんだから、

あなたに見下されたりしたくないし、見下されるいわれすらないのだから。

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by psychic-luna | 2010-01-26 01:45

嫌な映画についてのひとりごと






ダンナってね、ホラー映画が好きなんです…

この前もハリウッド版「リング2」を借りてきて見入っている。



わたしはああいう映画は好かないっていうか、腹が立ちます。

なぜって、自分の不幸の恨みをまったく関係のない第三者を次々に殺害してゆくなんて…



それって、イスラムがやるようなテロじゃない?

公平を期していえば、
 アメリカ軍によるテロリスト殺害を口実にした民間人大量虐殺にも通じている。



嫌な映画。

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by psychic-luna | 2010-01-22 02:03

スネ夫へ






うそばっかり…。

ほんとうはあの人に遠慮しているだけなんでしょう?

あなたたちにとっては、いまだにカリスマにひれ伏す生きかたしかできない。



はっきり言うね。

あたしはもうまっぴら。

あたしはあたし。

どうしてだれかより自分を卑下しなければならないの?



あなたはカリスマの威光をかりて人気を博す。

そして多くのひとをカリスマへの崇拝行為に取り込んでゆく。

でもそんなあなたのほんとうの動機はカリスマへの敬意でさえない。

あなたはただあなたの居場所に威厳を付していたいだけ。

その土台にあるのは、そう、心の奥底の深い深いところにある荒涼とした不安。

あなたはその不安をごまかすためだけに、おおぜいの人々が持つ、

「誰かに何かにすがりたい気持ち」を利用している。



卑きょう者。

あなたはしょせん、エホバの証人よ。

けがらわしい。

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by psychic-luna | 2010-01-15 22:10

宿命…






今日は特に底冷えのする一日だった。

夜10時前、わが町の駅に着いて、外に出てみると…



風が強いというのではない、空気が冷えている。

冷蔵庫の中のように。

呼吸をすると、吸気が肺に達してもまだ冷たい…は大げさだけど。



雨が降ったみたいね、

アスファルトが黒くなっている。

大阪市内と違って、郊外では空が広い。

ぐっと下のほうまで降りてきているって感じ。

雲のないところが真っ黒の冬の空。

雲との境がくっきりしている冬の空。

こんなに寒い日は、やっぱり人が恋しいよね、ひととの会話の温かみが。



いま、着いたよ。今日は遅くなってごめんだったね。

そのかわり、今日の外食はわたしがおごるよ。

寒いから、マクドナルドで待ち合わせ、ね。



ケータイでそう伝えて、迎えを求めた。

冬はいい。こうやって夫に迎えに来てもらえるから。

夏場はプロ野球があったりするとね、なかなか。



「ひとりじゃないって、ステキなことね ♪」

ふと、天地真理の古い古いヒットソングが脳裏に流れた。

「…いつまでも、いつまでも ♪」



いつまでも続くだろうか。

生育歴に恵まれていないわたしは、ときどき、自分の幸福が信じられなくなる。

きっと、なにか悪いことがそばまで迫っている…

そんな強迫観念にときにおそわれるのだ。

こんなときこそ、「思考停止」は使われるべきなのだ、こんなときに限って、ね。

マインド・コントロールも使いようによっては、自分の弱さを抑制するのに役立つ。

強迫観念を閉め出すために限って、ね。



アダルト・チルドレンのわたしは、

一生涯、こういう自分との格闘を続けていかなければならない。

でも、これも宿命。わたしの責任じゃない。

生まれる親を、人間は選ぶことができない。

ひとはみな、なにかしら、不備な境遇、不備な問題を抱えて生まれてくる。

まったく暮らしの苦労をしなくていい境遇に生まれた人間でさえ、

ノリピーのダンナさんのように、四十代まで社会というものから外れて生きてきて、

およそ四十代の人間に最低限備わっているだろう社会性がなく、

ただ単に刺激を求めて生きるしかない人間になってしまう、

これも決して、生きた甲斐のある人生じゃない。



わたしは、わたしにのしかかってきた運命を嘆いたり恨んだりするんじゃなく、

この運命を、自分に用意された「リング」だと、

リングというのはレスリングなどのリングのことだが

わたしは、そういうふうに、いまは受け留められる。




わたしは、わたしが遭遇することになったこの「リング」で、運命をノックアウトする、

そういう決意で生きている。

今日も、あしたも。

いのちの続く限り。
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by psychic-luna | 2010-01-08 00:44

忘れ去られるひとと記憶されるひと






よく行くスーパーの途中。手前の交差点の北側の角が更地になっていた。

こうして更地になってみると、はて、そこに何があったか思い出せない。

「ガソリン・スタンドじゃなかった?」

「スタンドはもうひとつ向こうの交差点でしょ」

「そうか、なんだっけなあ」

夫婦ともども思い出せない。



人間ってこんなもの。

過ぎ去ってしまえば、遅かれ早かれ、忘れてしまう。

後世に名を残す、とまで大きな野心でなくとも、誰かに影響を与えようとしても、

人はやがて忘れる。

覚えていても、過ぎ去った人が期待していたような影響はそうは受けていないもの。

みんな自分を大切にしたいから。



いい思い出として、いつまでも語られる人っていうのは、

影響力の強いカリスマ的人物ではなく、

自分の肉親であったり、恩人であったり、

自分を支配した人ではなく、いっしょに苦楽をともにした「同志」的な人たち、
同じ釜の飯を食った仲間。上にいたひとというよりは、横にいたひと。



だから、上に立つことに躍起になるより、友になろう。

支配するより、一歩引いて、相手を立てよう。

服従したり、へりくだったりするんじゃなく、

協議して、自分の言い分と相手の言い分を机に並べ、

両方が納得できる第三の方法を作り出そう。





だからわたしは、民主主義がベストだと思います。
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by psychic-luna | 2010-01-04 23:19

生きることには、意味も使命も必要じゃない






愛する人を交通事故とか、犯罪の被害とかで失ったとき、遺族はこう思う、「なぜあの人が死ななければならないの?」

戦争中、死が確実な運命となったとき、ひとは死ぬことに意味をつけようとする。

逆に、生きることに意味を必要とするひともいる。

エホバの証人でいつづけたいひとたちには、神がいなければ人生には意味がないことになる、というのがいる。



ふつう誰にとっても、死ぬのは不本意だから、「なぜ」と問いたくなることには理解がおよぶ。「なぜ、いまここで死ぬのか」と思うのも、「いまここで死ぬことになるが、自分の死ぬことには意味があった」と信じようとするのも、命への、生きることへの執着があるからだ。

ではなぜひとは生きることに執着するからだろうか。そこに何か重大な、あるいは重要な意味があるからだろうか。もしそうだとしたら、とくに意味や目的を持たないひとは生きることを平然と放棄するだろうか。

中学生や高校生たちに、将来何をしたい、と聞いても半数くらいのひとは、まだわからない、というだろう。でもそんな中学生や高校生たちに、もし近日中にあなたが死ぬ、ということになったら、素直にその運命を受け入れるか、と訊いたら、たいていのひとは拒絶反応を示すだろう。

とくに何か重要な使命のために生きているわけではないが、死ぬのはごめんだ、と。

ひとが生きているのは、なにか重要な使命があるからではなく、単に人間として生まれてきたからだ。人間の身体は何十年かの間生きるようにできている。生きていて、生き続けるために食べたり、エッチしたりすることが楽しいし、また人間には高度な脳があって創作することを楽しめる。

そうやって、楽しいと感じることがあるから生き続けたい、と思う。あるいは、いつか楽しいことに達するだろうという期待があれば、多少の不遇にも耐えられる。

ひとは、楽しい、ということのためにだけで、生きてゆけるのだ。なにも深刻な使命など必要ではない。いや、楽しいということがあれば生きてゆくのに十分だ。それが阻害されるとき、ひとは、ひとから楽しさを奪おうとする「体制」やら「伝統」やら、「独裁」やらから自由になろうとして闘う。それは傍から見れば、高邁な活動のように思えるし、そういう闘いをしている人を見て、「あのひとは使命感を持っている」みたいな評価がされる。でもそういうひとは、そういう闘いをするために生まれてきたのではない。そういう闘いをせざるを得ない状況に見舞われたに過ぎない。できればそんな闘いをせずにすむのがもっとも望ましい。



人間が、意味を求めることなく死にたい、と思うのは、楽しさへの期待を一切見失ったとき、つまり生きるということに絶望したときだ。人間が、生きることに意味や使命を求めるのは、いま生きることに楽しさを見いだせないからだ。
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by psychic-luna | 2010-01-03 23:35

ひとことくらいのあいさつがあってもいいでしょうに…






あのさあ、ちょっとカチンときてんの。

あるブログの方からトラックバックをいただいたのね。超有名なブログの方からだったんで、すんごくうれしかったんですよ。

で、すぐにお礼の意味でトラックバックをお返しして、トラックバックくださった方のブログのコメント欄にもお礼したんです。

この時点ではレスなんて期待していなかったんです。でも、ひょっとしたら、と思って、夕方に覗いてみたんです。そしたらね…。

何人かのひとのご挨拶にはレスが返されていたんだけど、あたしのとほか何人かのひとのコメントは無視されてたんです。



これってさあ、結構傷つくんですよ、いや、ホント。

まあ、わたしはあまりPCには時間割いていないし、だからよく見るサイトでも、コメントとかしないから、あまり親しく思われていないのはしょうがないとしよう。でもさあ、同じような時間帯にコメントしたのに、自分だけ無視されてるって…。ふつう、おもしろくないですよねぇ。

わたしがエホバの証人だったときには、こんなことする長老がいたんですよ。自分の思い通りに動かない人や、自分とは趣向の異なる人がね、いくら註解しようとしても、わざと当てないの。そういうのがものすご~いイヤに思いましたし、自分がその対象になったときにはすごく傷つきました。

そういう経験があるもんだから、今回のようなことがあると、相手の腹の底を勘ぐっちゃうのね。

自分が有名だから人を選り分けてんのか、とか、あたし、このひとになにか気に触ること言っちゃったことあるのかなあ、とか。

「不満があるんなら、はっきりそう言えばいいじゃない、あなたがいつもブログでえらそうにそう言ってるんだし」。

みなさんなら、きっとそうおっしゃるでしょうね。

それは確かにそのとおりです。でもさあ、実際はそんなこと言えないですよね、おおぜいの人に公開されている場所だし。だから、「あ、そう、あなたがそういう態度に出るんならお好きにどうぞ、あたしは平気よ」なんて心の中で言いながら、もちろん、全然平気じゃないんだけど、もうそういう人とは遠めに距離を置くようにしよう、って決心して、忘れるようにしますよね、ふつうは。まあ、そうするのが正解なんでしょうけど。



あのひとに注意されても腹が立たないのに、このひとから指摘されると、それが正鵠をついていてもむかっとして、耳をふさいでしまう。ひとはなぜひとによって感じ方が変わるのか。このことを研究して引き出された概念があります。「イデオシンクラシー・クレジット」という社会心理学の用語らしいんですが…。

ある人には信頼感を抱くのに、別の人には警戒心を抱く。どうすれば警戒されずに、信用を得るようにできるでしょうか。それは…

こうすることです。



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日常レベルでの誠実さをていねいに実行することである。

会議や商談などで電話に出られずに、留守番電話にメッセージが入っていた場合、直属上司やリーダー格のひとに対しては迅速に返事するのに、同僚や後輩への対応は後回しにする。こんな人間はだいたい、「いやあ、忙しくってさあ」で済まして平然としている。

「忙しい」といえば許されると思っている。言われた側の気持ちに思いをはせることができない。携帯電話のない時代なら、連絡を取るすべがすぐにない場合もあったので、そんな言葉も許されたかもしれない。しかしいまは、廊下を歩いている最中でも、トイレからでも「ごめん、いまは手を離せないから、あとでまた電話する」のひとことなら1分もかからない。

社会で生きている人が便利なものを持つ以上、その利便の益を他の人も受ける権利が発生する。こちらも相手の立場に立ち、相手を気づかい、相手に誠実に対応する義務も自分に発生するのではないだろうか。

人間関係への姿勢が近視眼的なひとは、「信用というものは大きなことをしないと積みあがらない」というように勘違いしている人である。人間関係に恵まれる人というのは、面倒くさくても「他者への気配り」をまめに実践するひとである。




(「人間関係が一瞬で変わる『自己表現』100」/ 原孝・著)

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これですよ、これ。

信頼は小さな当たり前のことをていねいに実行することでしか築かれないものなんですよね。

身近な人は、つい相手に甘えてしまって、まあ、わかってくれるだろうで済ましてしまうことが多いようですが、身近な人だからこそこういうことを疎かにしていると、関係にひびが入るようになり、やがていっしょにいるのに孤独に感じる、なんて事態を身に招きます。身近にいる人がいちばん大切なひと。だから身近な人こそていねいに接する、これがまっとうな順序です。

「どうもごていねいに、今年もよろしく」くらいの文章書くのに何時間もかかるわけではないでしょうに、ねえ。
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by psychic-luna | 2010-01-03 03:35

わたしの「贅沢」




不況で、今年の正月は家で過ごす人が多いという。うちもそのクチだ。

元日には夫婦で奈良県橿原神宮まで足をのばした。思ったほど人は多くなかった。寒い一日だったからだろう。

小学生のころは遠足やらで橿原神宮には来ただろうが、もちろん中年となった今、そんなことは覚えていない。でもなぜか懐かしい。

社殿の正面に距離を置いて立ち、眺めてみる。空は曇っていたが、ときどき切れ目から弱い陽光がさしてくる。明治時代に創建されたもので、新しいのだが、日本の建築の美しさにうたれた。境内に陽光がさしたり、雲にすうっと消し去られたりして、静寂というものが目に見えるように感じられる。

精神的に未熟な親元に生まれて、複雑な人間関係のなかで過ごしてきたわたしは、ひとと関わっているよりは、こうして静かな雰囲気のなかでたたずむほうを好む。やや風が強いのも、雰囲気に没頭する助けになった。瞑想しているのではないが、そういう気分に耽った。

鑑賞する、などという高度なことはわたしにはできない。しかしたったひとりで「美」というものにひたることは、そう、わたしにとっては「贅沢」である。「幸福」ではない、贅沢、だ。ほんものの贅沢だと思う。

贅沢は金ぴかな暮らしに埋もれることだけを言うのではない。贅沢は悪徳というイメージがあるが、人間には贅沢に耽る時間が必要だと思う。音楽で言えば「間奏曲」。何も考えずに、ひたすら心地よい雰囲気に心をゆだねる。感傷もなければ、そう、愛情に温もることすらない。自分ひとりだけの快楽。

静けさ、わたしはそれを、男からの愛よりも愛する。

うしろで夫が、寒い、と言い出した。ムードを理解しないやつ。わたしはにっこりしてふり返り、「なんか食べに行こうか」と答えた。南門をくぐるときには、肩を並べた。空には冬独特の、岩のようにごつごつした雲が水色の空のあちこちに重なっていた。
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by psychic-luna | 2010-01-02 20:02

北朝鮮、ミサイル発射疑惑


 
北朝鮮が、人工衛星打ち上げ実験と称して、ミサイルを打ち上げるらしい。
それへの対応は、派手な軍事対応。国民の反応もそれと同様、昂ぶっているのだろうか。

韓国の大統領は、軍事的な対応は歓迎できないと表明した。




このたびの自衛隊出動は文字通りの自衛活動だ。



だけど、日本政府が対応を誤まって、もし戦争をひき起こし、それによって日本国民に攻撃が及び、死傷者が出たら、日本政府は責任を取って総辞職しなければならない。だって、日本は政府の行為によって国民が被害を被らないようにしようという憲法を持っているのだから。



なぜ北朝鮮はだんどうミサイルの開発に躍起になるのか。アメリカを脅威に感じるからだ。アメリカの軍に基地を提供する日本に脅威を覚えるからだ。日本にいるアメリカ軍が北朝鮮にとっては脅威なのだ。

問題の根本はどこにあるのか。何のための、誰に対してもアピールとしてもミサイル発射なのか。



これは第一に日本への攻撃ではない。対応を誤まってはならない。あえて戦争を示唆するようなアピールは賢明ではないと思う。自衛の用意はもっと控えめでいいのではないか。

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by psychic-luna | 2009-03-31 00:46



人前では言えない、あんなこと、こんなこと
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